『源氏物語』
第二帖
ははきぎ
帚木
・<帚木>の簡単なストーリー |
・<帚木>の系図 |
・<帚木>で印象深い和歌 |
・<帚木>MEMO |
・<帚木>を歩く |
<帚木>のストーリー 源氏の君 17歳の夏のお話です。源氏の君は輝く美貌を持ち、世間から「光源氏」と呼ばれてもてはやされ、お名前だけは華やかですけれども、実は恋愛遍歴も少なくはないようでいらっしゃいます。 源氏の君が近衛中将(このえのちゅうじょう)でいらっしゃった頃は、内裏でばかり過ごされ、正妻である葵の上が住まう左大臣家に通うことが少ないのでした。 五月雨(さみだれ)が続き、晴れ間のない頃、帝の御物忌(おんものいみ=身を清めて謹慎すること)が続き、源氏の君は内裏の宿直所(とのいどころ)で過ごされていました。 左大臣と、正妻・大宮<桐壺帝の妹宮>との間に生まれた嫡男・頭中将(とうのちゅうじょう)は、源氏の君の良き親友であり、学問や音楽の遊びもご一緒になさいます。頭中将は、源氏の君の正妻・葵の上の兄でもあるのでした。 雨が降り続くある夜、源氏の君がいらしゃる宿直所に頭中将が訪れました。頭中将は、かたわらにある厨子(ずし=本棚)の中から源氏の君宛てに女君から届いた色さまざまな恋文を引き出します。源氏の君はさしつかえのない恋文だけを頭中将にお見せしました。 |
そうしているうちに、おのずと会話は女性談義となりました。 頭中将は、女性を上流・中流・下流と3つの階級に分けてお話になり、中流階級の女性こそ個性があって良いと言います。 そこへ左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)が物忌(ものいみ)に籠ろうとして、宿直所へ訪れ、女性談義に加わりました。 |
頭中将が「私は馬鹿な話をしましょう」と前置きして、過去に密かに通っていた親のいない女の話を始めました。 頭中将は、女がおっとりして優しい性分だったので安心してしまい、女のもとに通うのが途絶えがちになっていました。 頭中将と女との間には幼い女の子が生まれていましたので、今後を不安に思った女は頭中将へ撫子(なでしこ)の花を添えた手紙を送りました。 手紙には、撫子(なでしこ)を我が子にたとえて詠んだ和歌が書かれており、時々は、娘を可愛がって欲しいという内容でした。 |
頭中将は手紙を受けとり、久しぶりに女のもとを訪ねると、女は沈みがちで涙ぐんでいました。頭中将は、女を“常夏(とこなつ=撫子の異名)”にたとえて愛情をこめた和歌を詠み、女も和歌を詠みました。 しばらくたって、常夏の女と“撫子(娘)”は姿ををくらまして行方不明になってしまったのです。頭中将は何とかして探し出したいと思うのですが、今でも行方を知ることができません。 後になって、頭中将の正妻<右大臣の娘・四の君、弘徽殿の女御の妹>が常夏の女に対し、人を介して脅しまがいのことをしていたとわかったのだとか。 |
終始、聞き役だった源氏の君は、ただ一人の愛しく思われている方のご様子を心の中に思い続けていらっしゃいます。 藤壺の宮こそ、過不足のない素晴らしいお方だと思うにつけ、ますます恋しさで胸がいっぱいになるのでした。 女性談義は結論に達することもなく、朝を迎えました。 |
雨も上がり、源氏の君は正妻・葵の上がいる左大臣家へ退出しました。源氏の君は、葵の上の打ち解けにくく取り澄ましていらっしゃる様子が物足りなく思われます。 暗くなる頃になって、源氏の君にとって、この日は左大臣家で泊まるには方角が悪いことがわかりました。当時は占いが信じられていましたので、方角が悪いとわかると方違え(かたたがえ)といって、別の場所へ移るのが習慣でした。 源氏の君は中川(なかがわ)というところにある紀伊守(きのかみ)の邸宅を訪ねました。紀伊守(きのかみ)の邸宅は、趣向が凝らしてあり風情がある様子です。 源氏の君は昨晩の女性談義を思い出し、中流階級の女とは、おそらくこういった邸に住む女性なのだろうとお思いになります。 偶然、そこには、紀伊守の父・伊予介(いよのすけ)の若い後妻である空蝉(うつせみ)が来ていました。かねてより、源氏の君は空蝉の噂を聞いていたこともあり、関心を惹かれて耳を澄ましていらっしゃいます。 その夜、源氏の君は空蝉の部屋に忍び込み、空蝉を抱きかかえ奥の寝所にお入りになり一夜を過ごしました。 空蝉は受領(ずりょう)の後妻となる前の娘時代に、こうした源氏の君との逢瀬をもてたのだったらと思うものの、現在の境遇や自分の器量・年齢が源氏の君とは、あまりにも不釣合いであること嘆き、源氏の君を受け入れようとはしないのでした。 源氏の君は、空蝉の特にすぐれたところはないものの、見苦しくなく身だしなみがそなわった様子に惹かれ、空蝉の弟である小君(こぎみ)をおそば近くに召し寄せ、実の親のようにお世話なさいました。 小君は、姉・空蝉に度々源氏の君のお手紙を届けますが、空蝉は源氏の君を拒み続けます。 源氏の君は、小君をおそばに寝かせなさいます。小君は源氏の君のお若く優しいご様子を嬉しく素晴らしいと思っていますので、源氏の君も冷たい空蝉よりは、この小君をかえって可愛いとお思いになっていらっしゃるのだとか。 |
独断と偏見による<帚木>で印象深い和歌 光源氏が空蝉に対して詠んだ歌 帚木の 心を知らで 園原の 道にあやなく 惑ひぬるかな (歌の意:近づけば消えるという帚木のような、あなたの心も知らないで 園原への道に、空しく迷ってしまったことです。 ) |
帚木(ははきぎ)とは、信濃国園原(そのはら)の伏屋(ふせや)の地に生えている木で、遠くからは姿が見えるのに近寄ると姿がないという伝説の木です。 園原や 伏屋に生ふる 帚木の ありとて行けど 逢はぬ君かな 坂上是則 (古今和歌六帖) という古歌から、“帚木”は近づいても逢えない女性・逢いたくても逢えない女性の象徴・歌語になりました。 上記の光源氏の歌で、逢えない相手とは空蝉のこと。 |
清少納言の『枕草子』 第十四段 原は にも 園原(そのはら) が挙げられています。 原は みかの原。あしたの原。その原。 <小学館発行・新編古典文学全集18「枕草子」 より引用> 帚木の伝説が有名であったため、清少納言は園原を挙げたと思われます。 |
◆「光る君」と「光源氏」の呼称の違い 桐壺の巻では「光る君」と呼ばれ、帚木の巻冒頭では「光源氏」という呼び名で登場しますが、この二つの呼称にはどのような違いがあるのでしょうか。この使い分けには以下のようなイメージがあります。 参考:河添房江 著 『源氏物語と東アジア世界』 ・「光る君」→生涯を通した呼び名。光輝く権威ある存在。 ・「光源氏」→“源(みなもと)”という姓を賜った色好みの青年貴族像。 ◆光源氏と正妻・葵の上との結婚生活 光源氏12歳・葵の上16歳で結婚しましたが、結婚から5年経っても二人の仲は上手くいっていなかったのでした。葵の上の実家である左大臣家では光源氏の来訪を待ちながら、光源氏のために新しい装束をあつらえて送ったりしています。 当時は、妻の実家が婿の身の回りの世話をすることになっていました。 ◆「雨夜の品定め」はどこで行われた? <帚木>での女性談義のことを後世、「雨夜の品定め」と呼ばれるようになりました。 <桐壺>の終わりで光源氏が内裏で過ごす部屋は淑景舎(しげいさ=桐壺)であると明記してあるため、古来、「雨夜の品定め」は淑景舎<桐壺>で行われたという説が有力です。 しかし、角田文衞氏は、「雨夜の品定め」が行われた場所について、光源氏17歳の官職が“近衛中将(このえのちゅうじょう)”であることに着目され、内裏の玄輝門(げんきもん)脇にある中将の宿直所であるという説を唱えていらっしゃいます。≪内裏図参照≫ 平安時代当時の読者は、どこを想定していたのでしょうね。 ◆「雨夜の品定め」に登場する頭中将の恋人・常夏の女 頭中将の恋人で“常夏”にたとえられた女は、頭中将の正妻から嫌がらせを受け、頭中将の訪れも少なかったことから娘とともに失踪してしまいました。この女性はのちの帖に登場する夕顔(ゆうがお)です。 頭中将との間にもうけた娘“撫子”も数奇な運命を経て登場しますのでお楽しみに! ・撫子(なでしこ)=撫でし、子 という意味で愛児のこと。 ・常夏(とこなつ)=撫子の別名。床(とこ)を思わせることから床を共にした女性という意味もこめられています。 ◆紀伊守(きのかみ)の邸宅がある“中川のわたり” わたり=辺り の意。 中川は、現在の京都市北区から上京区内を流れていた川で、現在は存在しない川です。川が流れていた周辺地域は「中川」と呼ばれていました。平安京の外側(東側)です。 現在の廬山寺(ろざんじ)がある辺りも「中川」です。廬山寺がある土地は、かつて『源氏物語』の作者・紫式部の邸宅跡でした。紫式部は自宅周辺の土地を物語の舞台としました。 空蝉は伊予介(いよのすけ)の妻であり、一時的に義理の息子である紀伊守(きのかみ)の邸宅に身を寄せていたところ、思いがけず光源氏と出会うのでした。 ◆恐るべし!女房(にょうぼう=召し使いの女性)の情報網 光源氏が方違え(かたたがえ)で訪れた紀伊守(きのかみ)の邸宅。光源氏が耳をすますと、女房たちが自分の噂話をしているのが聞こえました。源氏の君がいつだったか式部卿宮(しきぶきょうのみや)の姫君に朝顔の花を添えて送った和歌の話題ものぼっています。 受領(ずりょう)階級、いわゆる中流階級の家に仕える女房でさえ、光源氏が女性に送った和歌を正確ではないけれども知っているということに、女房たちの情報網の怖さを感じますね。 光源氏は、こんなふうに噂話の折にでも、女房たちがアノ方との恋を言い漏らし、人が聞きつけたら…と心配します。この時点で光源氏は藤壺の宮とすでに関係をもっていたのではないかと思われます。 光源氏が朝顔の花を添えて歌を送った式部卿宮の姫君(朝顔の姫君)は、のちの帖で登場します。 ◆空蝉(うつせみ)という女性 衛門督(えもんのかみ)で中納言だった父をもち、父親は空蝉を桐壺帝に宮仕えさせたいと思っていました。しかし両親が亡くなり、親子ほど年齢の離れた受領である伊予介(いよのすけ)の後妻となりました。本人は現在の境遇に満足しておらず、かといって光源氏を受け入れようとはしません。 ◆ズバリ、光源氏と空蝉の弟・小君(こぎみ)はデキている!? 小君は、作中でも“子ども”扱いされており、物腰が優雅な少年のようです。故・衛門督(えもんのかみ)の末子で父に可愛がられて育ちました。光源氏は、空蝉の義理の息子・紀伊守を通じて小君をそばに招きました。小君は子ども心に光源氏をとても素晴らしく嬉しく思い、慕っています。 光源氏と小君はデキていたのか!?想像におまかせします。 |
<帚木>を歩く リンク先は私のサイト内でのご紹介ページです。 | |
淑景舎(しげいさ)<別名:桐壺(きりつぼ)>跡 光源氏の内裏での住まいで、「雨夜の品定め」が行われた場所といわれています。 |
|
廬山寺(ろざんじ) 廬山寺は、日本廬山と号する円浄宗の大本山です。現在の廬山寺がある土地にかつて紫式部の邸宅がありました。この付近は“中川のわたり”と呼ばれる地域です。光源氏が訪れた紀伊守(きのかみ)の邸宅も“中川のわたり”にあるという設定です。 |
|
梨木神社(なしのきじんじゃ) 現在、梨木神社がある付近も“中川のわたり”に相応します。紫式部の邸宅址は、梨木神社の境内の一部も含みます。 境内に湧き出る「染井の水」は、京都の三名水のひとつとして知られ、水を汲みに訪れる方が多いです。萩の名所としても有名。 |
【参考】 | |
「源氏物語必携事典」 | 編:秋山虔・室伏信助/発行:角川書店 |
「源氏物語図典」 | 編:秋山虔・小町谷照彦/作図:須貝稔/発行:小学館 |
「源氏物語の地理」 | 編:角田文衞・加納重文/発行:思文閣出版 |
「紫式部伝―その生涯と『源氏物語』」 | 著:角田文衞/発行:法蔵館 |
「源氏物語」巻一 | 訳:瀬戸内寂聴/発行:講談社 |
「源氏物語の鑑賞と基礎知識」帚木 | 監修:鈴木一雄/編集:中嶋尚/発行:至文堂 |
渋谷栄一氏のサイト『源氏物語の世界』 | |
【和歌・歌の意 引用】 | |
渋谷栄一氏のサイト『源氏物語の世界』 |