紫式部公園 紫式部像
紫式部公園の北西部に、紫式部像はあります。高さ約3メートルの金箔のブロンズ像で、圓鍔勝三(えんつばかつぞう)氏によって製作されました。
紫式部像は、袿(うちき)姿で檜扇(ひおうぎ)を手にしています。
京のほうを向いて立つ紫式部像が見つめる先は、“越前富士”とも呼ばれる日野山です。ここから眺める日野山が特に美しいと言われています。
上のサムネイルをクリックされますと、大きなサイズの画像をご覧いただけます。ご覧になられましたら、プラウザの「戻る」でお戻りください。
向かって右側のレリーフ 武生に向かう紫式部と父・藤原為時 |
|
武生に向かう国司の一行、新任の国の守(かみ)である父 藤原為時は乗馬姿、紫式部は袿(うちき)姿で荷物を担ぐ人たちをねぎらいながら、輿を降りて一休みする木ノ芽峠(きのめとうげ)あたりの情景。 <説明板より>
|
【なぎ注】
木ノ芽峠=福井県の嶺北(越前地方)と嶺南(若狭地方)を隔てる峠。 |
向かって左側のレリーフ 「紫式部日記絵巻」 藤原道長と対面する紫式部 |
|
若宮の五十日(いか)の祝いの当夜、藤原道長に賀の歌を所望され、紫式部が
「いかにいかが数へやるべき 八千歳(やちとせ)のあまりひさしき君が御代(みよ)をば」
ととっさに歌を詠む「紫式部日記絵巻」の有名な場面。 <説明板より>
|
【なぎ注】
若宮=一条天皇中宮彰子が産んだ皇子・敦成親王。のちの後一条天皇。
五十日の祝い=若宮の誕生五十日のお祝いの儀。寛弘5年(1008年)11月1日。
「いかにいかが…」=歌の意:いったいいかように数えあげたらよいのでしょう 幾千年ものあまりにも久しい若宮様のお齢を
|
日野山(ひのさん)は標高795メートルの霊峰です。紫式部も越前滞在中に眺めたことでしょう。
紫式部は日野山の杉に雪が積もっている様子を見て、京の南西にある小塩山(おじおやま)の松にも雪が降っているのだろうかと京への思いをめぐらせます。
ここにかく 日野の杉むら 埋む雪
小塩の松に 今日やまがへる
(歌の意:ここ越前の国府にこのように日野山の杉むらを埋める雪は 都で見た小塩山の松に今日は見まちがえることです。)
上のサムネイルをクリックされますと、大きなサイズの画像をご覧いただけます。ご覧になられましたら、プラウザの「戻る」でお戻りください。
※青文字は渋谷栄一氏のwebサイト『源氏物語の世界』より引用させていただきました。
▲このページの一番上に戻る
|