後朱雀天皇の第一皇子・親仁親王(ちかひとしんのう=のちの後冷泉天皇)の乳母(めのと)の一人となり、親仁親王が即位するにあたって、典侍(ないしのすけ)に任ぜられ従三位に昇進。 「大弐三位」という女房名は、夫の成章の官名・大宰大弐と賢子自身が三位であることにちなむ。 記録の上では、「大弐三位」のほか、出仕して間もない頃は、祖父である為時の官名にちなんで「越後弁(えちごのべん)」、のちには「藤三位(とうのさんみ)」、「弁乳母(べんのめのと)」などと呼ばれた。 高齢になっても、宮廷歌人として活躍した。<天皇家と子孫の関わり> 『源氏物語』や『狭衣物語』の執筆・完成に関わっているという説があるが定かではない。
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大弐三位 有馬山 ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする |
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(歌の意: 有馬山のあたりの猪名(いな)の笹原に風が吹き渡ると、そよそよと音をたてるわ。それですよ。私はあなたのことをどうして忘れなどしましょうか。私はあなたのことを忘れなどしません。) |
・『平安時代史事典』CD-ROM版 | 監修:角田文衛/編・古代学協会・古代学研究所 発行:角川学芸出版 |
・『紫式部伝 ―その生涯と「源氏物語」』 |
著:角田文衞/発行:法蔵館 |