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源氏物語ゆかりの地[正篇:光源氏の物語] 桐壺〜雲隠


※私が巡った処のみ物語の進行に合わせてご紹介しています。随時、増やしていきたいと思います。
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京都御所      京都市上京区京都御苑内

 現在の京都御所の場所は鎌倉時代(南北朝時代)に定まり、建物は江戸時代の再建です。平安時代の内裏は現在より西にありました。古式を伝える建築であり、紫宸殿や清涼殿、飛香舎は「源氏物語」の世界を彷彿とさせます。
京都御所 紫宸殿

東鴻臚館跡      京都市下京区西新屋敷揚屋町

 幼い光源氏が身分を隠して、高麗(こま)の相人(そうじん)に会い、将来を予言されたところが鴻臚館でした。光源氏は、高麗人と漢詩を読み交わし贈物を受け取ります。高麗(こま)とは渤海国(ぼっかいこく)のこと。「角屋もてなしの文化美術館」の北に東鴻臚館跡の石碑があります。
東鴻臚館跡

廬山寺(ろざんじ)  京都市上京区寺町広小路上ル

 現在、廬山寺がある土地にはかつて紫式部の邸宅がありました。この付近は“中川のわたり”と呼ばれたところで、「源氏物語」に登場する空蝉の仮住まいであった紀伊守の邸宅や花散里の邸宅もこの付近に設定されています。【廬山寺公式サイト
蘆山寺 源氏の庭

梨木神社       京都市上京区寺町通広小路上ル染殿町

 廬山寺からほど近くにある梨木神社の付近も“中川のわたり”です。境内には、京都三名水のひとつ「染井」の井戸があり今も水が湧き出ています。紫式部もこの美味しい水を飲んだかも!?【梨木神社公式サイト
梨木神社

遍照寺         京都市右京区嵯峨広沢西浦町

 平安時代、具平(ともひら)親王が身分低い愛人・大顔(おおがお)を連れて遍照寺へお忍びで出かけ月見を楽しんでいたところ、大顔が急死するという事件がありました。この身分違いの恋が光源氏と夕顔のモデルになったといわれています。【遍照寺公式サイト
遍照寺

夕顔の宿        京都市下京区堺町通高辻下ル

 「夕顔之墳」の石碑がある民家のあたりが“夕顔の宿”の推定地といわれています。こちらの民家の中庭に五輪塔(宝篋印塔)があるそうです。江戸時代、夕顔の生涯を哀れんだ好事家によって、紫式部が創作した夕顔の居宅跡を推定し墓石を建てられたのだとか。このあたりの町名を「夕顔町」といいます。お墓は個人宅にありますので自由拝観はできません。
夕顔之墳

清水寺         京都市東山区清水

 光源氏が愛する夕顔を亡くして、野辺送りをする場面において、清水寺の方は光がこぼれ参拝客が多く賑わっている様子が描写されています。【清水寺公式サイト
清水寺

大雲寺         京都市左京区岩倉上倉町

 瘧病(わらわやみ)を患った光源氏は北山の「なにがし寺」へ加持祈祷を受けに行きます。そこで出会ったのが紫の君(のちの紫の上)でした。大雲寺は「なにがし寺」のモデルであると考えられています。
(※大雲寺の創建は紫式部の曾祖父です)
大雲寺 水飲堂

鞍馬寺         京都市左京区岩倉上倉町

 光源氏が紫の君(のちの紫の上)と出会った北山の「なにがし寺」候補地のひとつとして知られています。『源氏物語』<若紫>本文に“つづらをり”=九十九折 という表現があるため。清少納言の『枕草子』にも“鞍馬のつづらをりという道”と記されています。
鞍馬寺

朱雀院跡       京都市中京区壬生花井町

 「朱雀院」は代々の天皇が譲位後に住まわれた実在の御所で広大な敷地を誇っていました。『源氏物語』では、桐壺帝の前の帝と朱雀院(弘徽殿大后の皇子)が、ここを御所としました。物語内では、桐壺帝の「朱雀院」行幸・冷泉帝の「朱雀院」行幸が記されています。
 現在は、「日本写真印刷(株)」の敷地内に石碑と説明板が残るのみです。その北に「福田寺(ふくでんじ)」というお寺があり、境内の尼ケ池は「朱雀院」の苑池の遺構と伝えられています。
朱雀院跡

上賀茂神社      京都市北区上賀茂本山

 賀茂祭(葵祭)は上賀茂神社・下賀茂神社の例祭です。賀茂祭を前にして行われる斎院御禊の儀に行列見物をする際、光源氏の正妻・葵の上と恋人・六条御息所が場所取りをめぐり「車争い」がおきました。【上賀茂神社公式サイト
上賀茂神社

下鴨神社        京都市左京区下鴨泉川町

 上賀茂神社と下鴨神社は王城鎮護の社として崇敬を集めています。光源氏が須磨へ退去する前に、下鴨神社の「糺(ただす)の森」を歌にとりいれて詠んでいます。源氏物語をモチーフにした縁結びおみくじが人気。【下鴨神社公式サイト
下鴨神社

野宮神社        京都市右京区嵯峨野々宮町

 六条御息所と姫宮(前東宮との子)が伊勢の斎宮へ下向するにあたって潔斎した所が「野宮(ののみや)」です。光源氏が六条御息所に会うために野宮を訪ねるシーンは情緒があります。神社には源氏物語の絵馬やお守りもあります。【野宮神社公式サイト
野宮神社

大極殿跡       京都市中京区(千本丸太町交差点)

 大内裏にあった朝堂院の正殿「大極殿」において、『源氏物語』では六条御息所の姫宮<伊勢の斎王>と朱雀帝が対面し「別れの御櫛の儀」が行われました。こののち、斎王は伊勢へと下向します。写真の大極殿跡を示す石碑は児童公園内にあります。
大極殿跡

平安神宮       京都市左京区岡崎西天王町

 平安神宮は大内裏にあった朝堂院を8分の5スケールにして建てられました。平安神宮の外拝殿を見ると往時の「大極殿」の華麗さ・規模を偲ぶことができます。【平安神宮公式サイト
平安神宮 外拝殿「大極殿」

雲林院         京都市北区紫野雲林院町

 桐壺院が崩御され、藤壺中宮に迫るものの拒まれた光源氏は、雲林院に参篭します。雲林院には、光源氏の母である桐壺の更衣の兄が律師としておられるのでした。かつては広大なお寺でしたが現在は観音堂が残るのみです。
雲林院 観音堂

東三条殿跡      京都市中京区押小路通釜座西北角

 東三条殿は、藤原摂関家相伝の邸宅でした。『源氏物語』において、摂関家ということで右大臣邸<弘徽殿大后(朱雀帝の母)や朧月夜の里第>に想定されます。光源氏は右大臣邸で朧月夜と密会しているところを右大臣に発見され、政治的に窮地に陥ります。
東三条院跡

須磨・明石       神戸市須磨区/兵庫県明石市

 政治的に窮地に陥った光源氏が京を離れ退去したのが「須磨」の地でした。やがて、明石の入道に迎えられ「明石」へ移住。明石の君との出会い、懐妊、明石の君を残しての帰京・・・と光源氏の人生において大きな転機となる出来事が起こります。

須磨⇒関守稲荷神社・現光寺・須磨寺・松風村雨堂・離宮公園など
明石⇒善楽寺・無量光寺・蔦の細道など

詳細:「須磨」「明石」紀行
「須磨」「明石」

住吉大社        大阪市住吉区住吉

 祭神は住吉の神と呼ばれ、海の守護神(航海安全の神)・農耕の神・和歌の神として信仰されています。明石の入道が熱心に信仰し、明石の君もまた住吉大社を参詣していました。光源氏と明石一族の繁栄を支えた神社といえます。【住吉大社公式サイト

詳細:花たちばな住吉大社
住吉大社

勧修寺         京都市山科区勧修寺仁王堂町

 勧修寺は宮道弥益(みやじのいやます)邸宅跡に建立された寺です。『今昔物語集』で知られる藤原高藤と宮道列子のロマンスが光源氏と明石の君の身分違いの恋のモデルとも考えられています。藤原高藤と宮道列子は紫式部の先祖でもあります。
勧修寺

石山寺         滋賀県大津市石山寺

 光源氏が須磨・明石から京へ戻った翌年、石山寺参詣へ向かう途中で、帰京する途中の空蝉たち一行と逢坂の関で逢います。光源氏と空蝉は歌を詠み交わすのでした。【石山寺公式サイト
石山寺

清凉寺         京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町

 光源氏が大覚寺の南に造営した「嵯峨の御堂(みどう)」は、源融(みなもとのとおる)の山荘を寺に改めた棲霞寺がモデルに目されています。霊宝館に安置されている阿弥陀仏は源融に似せて作られたのだそうです。境内には、源融の墓もあります。【清凉寺公式サイト
清凉寺 阿弥陀堂

大覚寺         京都市右京区嵯峨大沢池町

 大覚寺は嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」跡の一部です。光源氏が造営した「嵯峨の御堂」は滝殿の趣なども大覚寺の滝(=名古曽の滝)に負けないくらい素晴らしい寺であるようです。【旧嵯峨御所大覚寺門跡公式サイト
大覚寺

大堰の邸候補地   京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町

 “大堰の邸(おおいのやかた)”は、明石の君が上京後、六條院冬の町に移住するまでを過ごした大堰川そばにある邸宅です。雪の日に明石の君は娘である明石の姫君と離別します。現在、『ご清遊の宿 らんざん』西側の壁に説明板が設置されています。
大堰川(おおいがわ)

賀茂斎院跡      京都市上京区上御霊前通智恵光院東入

 櫟谷七野神社(いちいだにななのじんじゃ)内に賀茂<紫野>斎院御所の跡を示す石碑が建っています。光源氏のいとこである朝顔の姫君は帝に代わり賀茂社に仕える斎王<斎院>でした。斎王を退いたあと、光源氏から求愛されますが拒みとおします。
賀茂斎院跡 櫟谷七野神社

大学寮跡       京都市中京区西ノ京北聖町

 大学寮は、二条大路南・神泉苑西・朱雀大路東に位置していました。大学寮は、官人養成のための最高教育機関だったものの、当時の上級貴族の子弟が入学することはありませんでした。
 光源氏と葵の上との息子・夕霧は12歳で元服します。光源氏の方針で夕霧の官位を六位という低い身分にとどめ、大学寮に入学させられます。夕霧は二条東院で勉学に励むのでした。

 「此附近大学寮址」の石碑はお地蔵様の祠の陰に隠れるように建っています。この石碑の北には、二条城の隅櫓が見えます。
京都市立中京中学校に「大学寮跡」の説明板が設置されています。
大学寮跡

源融 河原院跡   京都市下京区木屋町通五条下る東側

 嵯峨天皇の皇子で臣籍降下した源融(みなもとのとおる)の邸宅・河原院があったことを示す石碑と駒札があります。光源氏は35歳の8月、故・六条御息所の邸宅を取り入れた「六條院」を造営します。この「六條院」は河原院がモデルとされています。

詳細:『源氏物語』光源氏の邸宅「六條院」を歩く
源融 河原院跡

渉成園<枳殻邸> 京都市下京区下数珠屋町通間之町東入

 渉成園は「東本願寺」の別邸で、枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。光源氏のモデルの1人ともいわれる源融の「河原院」を意識して江戸時代に作庭されました。【真宗大谷派(東本願寺)公式サイト
渉成園<枳殻邸>

大宰府政庁跡    福岡県太宰府市観世音寺

 頭中将と夕顔との間に生まれた娘・玉鬘は、3歳の時に母である夕顔が行方不明となってしまいます。夕顔の乳母(めのと)の夫が大宰少弐<大宰府の次官>として大宰府へ赴任することになり、乳母一家は夕顔の遺児である玉鬘(4歳)と共に下向しました。玉鬘と乳母一家は、大宰府政庁の近辺に住んだと思われます。玉鬘は大宰府で幼少期を過ごしました。
 大宰府政庁跡は、「都府楼(とふとう)跡」の名でも親しまれており、九州全体を治め、東アジアとの外交を司る大きな役所でした。その規模から「遠の朝廷(とおのみかど)」とも呼ばれました。現在は史跡公園として整備されています。

詳細:遥かなる筑紫 太宰府
大宰府政庁跡

鏡神社        佐賀県唐津市鏡

 玉鬘と乳母一家は肥前に移住し、玉鬘は美しく育ちます。肥後の豪族である大夫監から求婚され、乳母と大夫監は「鏡の神(=鏡神社)」を用いた歌を詠み交わします。玉鬘や乳母たちは、京へ戻れるよう鏡神社に祈念していたのでした。鏡神社には歌碑があります。【鏡神社公式サイト
詳細:“松浦なる鏡の神”鏡神社「花たちばな」鏡神社
鏡神社

筥崎宮        福岡県福岡市東区箱崎

 「筥崎八幡宮」とも称し、宇佐・石清水とともに日本三大八幡宮として知られています。鏡神社と同様に、玉鬘と乳母一家が筑紫滞在中に帰京と幸福を祈念した神社です。楼門前の「筥松」も有名。【筥崎宮公式サイト

詳細:「花たちばな」筥崎宮
筥崎宮

石清水八幡宮   京都府八幡市八幡高坊

 筑紫から都へ帰った玉鬘が最初に参拝したのが岩清水八幡宮でした。それは祭神が、筑紫滞在中に玉鬘が祈った松浦(まつら=鏡神社)・筥崎(はこざき=筥崎宮)と同じ神を祀っている神社であるからなのでした。【石清水八幡宮公式サイト

詳細:「花たちばな」石清水八幡宮
石清水八幡宮

椿市[海石榴市・海柘榴市](つばいち)  奈良県桜井市

 『源氏物語』において、椿市の宿で玉鬘一行が右近と邂逅を遂げたことで、玉鬘は六條院へ引き取られる展開に。 現在は、「海石榴市観音」にその名を伝えるのみです。
椿市

長谷寺       奈良県桜井市初瀬

 『源氏物語』において長谷寺の霊験は唐土にも聞こえていることが称えられています。玉鬘一行は御堂に参籠し玉鬘の将来を祈願しました。【長谷寺公式サイト
長谷寺

観世音寺       福岡太宰府市観世音寺

 筑紫において観音信仰で栄えた寺でかつては大伽藍を誇っていました。現在は規模が縮小し、建物は江戸時代の再建です。『源氏物語』内では、女房の会話に「清水の御寺 観世音寺」と登場します。玉鬘も大宰府滞在中に詣でたかも!?

詳細:遥かなる筑紫 大宰府観世音寺
観世音寺

大原野神社      京都市西京区大原野南春日町

 藤原氏の氏神である奈良の春日大社を分祀して創建。一条天皇の中宮・彰子も行啓しています。『源氏物語』では、12月に冷泉帝が鷹狩りを目的として大原野へ行幸します。大原野神社には狛犬ならぬ狛鹿がいます。【大原野神社公式サイト

詳細:「花たちばな」大原野神社
大原野神社

仁和寺         京都市右京区御室大内

 平安時代、光孝天皇の発願により創建。子の宇多天皇が遺志を継いで完成。「御室御所(おむろごしょ)」とも呼ばれます。光源氏の異母兄・朱雀院が出家の準備をしてきた「西山なる御寺」は、仁和寺がモデルだとされています。【仁和寺公式サイト
仁和寺 宸殿

冷泉院跡       京都市中京区竹屋町通堀川西入

 嵯峨天皇の離宮として造営されたのがはじめで、上皇御所となりました。歴代の天皇に利用された「朱雀院」と並ぶ大邸宅です。もとは「冷然院」と称していましたが、度々の火災により“然”の字は“燃”に通じることから、「冷泉院」に改められました。石碑は「冷然院跡」と記されており、二条城の北東にあります。
 『源氏物語』では、光源氏と藤壺の中宮の不義の子・冷泉帝が譲位したのち、ここを御所としました。国宝『源氏物語絵巻』<鈴虫 二>では、「冷泉院」にて冷泉帝(冷泉院)と光源氏が対面し、夕霧が笛を吹く場面が描かれています。⇒二千円札の絵です!
冷泉院跡<冷然院跡>

三千院        京都市左京区大原来迎院町

 比叡山の西麓一帯を「小野」といいます。落葉の宮の母・一条御息所が加持を受けるために落葉の宮とともに「小野の山荘」に移り住みます。夕霧は落葉の宮を恋慕って小野を訪ねます。「小野の山荘」候補地には諸説ありますが三千院もそのひとつ。【三千院公式サイト
三千院

修学院離宮        京都市左京区修学院

 朱雀帝の一条御息所が所有した「小野の山荘」候補地のひとつ。一条御息所と落葉の宮が住みました。現在の修学院離宮付近の想定と考えられています。修学院離宮では、都から遠い山里の雰囲気を味わえます。
修学院離宮



『源氏物語』ファンなら訪れたい場所


風俗博物館        京都市下京区(井筒左女牛ビル5階)

 『源氏物語』の世界を4分の1サイズの寝殿造の建物と人形で再現されている博物館です。当時の生活を知ることができます。【風俗博物館公式サイト

当サイト内:「風俗博物館」展示一覧
風俗博物館 光源氏

宇治市源氏物語ミュージアム  京都府宇治市宇治東内

 寝殿造風の模型に装束をまとった人形や調度品が展示され平安時代の生活を垣間見られます。宇治十帖のあらすじと人物関係も音と光で立体的に紹介されています。映像も上映。【宇治市源氏物語ミュージアム公式サイト】

当サイト内:源氏物語ミュージアム
宇治市源氏物語ミュージアム 牛車

斎宮歴史博物館          三重県多気郡明和町竹川

 斎宮(さいくう)は、帝の代わりに伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性「斎王(さいおう)」の宮殿が置かれたところです。『源氏物語』作中では、六条御息所の娘が「斎王」に選ばれ、六条御息所も娘とともに伊勢に下向します。【斎宮歴史博物館
斎宮歴史博物館

城南宮           京都市伏見区中島鳥羽離宮町

 平安時代末期、白河上皇によって『源氏物語』の六條院をモデルに造られた鳥羽離宮の跡。『源氏物語』に登場するほとんど全ての植物が植栽されている「神苑・源氏物語花の庭」は散策にぴったりです。【城南宮公式サイト
城南宮



関連ページ

『源氏物語』光源氏と明石の君のモデル!?藤原高藤と宮道列子のロマンス(外部サイト)

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源氏物語ゆかりの地をめぐる 遥かなる筑紫 太宰府

源氏物語ゆかりの地をめぐる“松浦なる鏡の神”鏡神社

「源氏物語ゆかりの地」説明板一覧


関連サイト

花たちばな(外部サイト:「源氏物語」に登場する神社をご紹介しています)



【参考】
・京都市公式ホームページ『京都市情報館』内、“「源氏物語ゆかりの地」説明板について”
(京都市内に設置された「源氏物語ゆかりの地」説明板全40ヶ所の一覧表と地図を閲覧&印刷できます。)
・情報提供システム『フィールド・ミュージアム京都』「京都の石ぶみデータベース」
(京都市内にある石碑に関する情報を知ることができます。)



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