Home紫式部ゆかりの地

紫式部ゆかりの地

廬山寺(京都市上京区)


 廬山寺(ろざんじ)は、正しくは廬山天台講寺と号します。
 この地は、平安時代、紫式部の父方の曾祖父であり堤中納言と呼ばれた藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)の邸宅・堤第(つつみてい)があった場所です。紫式部は、この地で育ち結婚生活を送り、『源氏物語』や『紫式部日記』『紫式部集』を執筆したと伝えられています。
<紫式部系図>

 境内には、紫式部とその娘・大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑があります。“源氏の庭”と呼ばれる白砂と苔が美しい庭も見どころ。「紫式部 邸宅址」と記された石碑があります。⇒説明板
廬山寺公式サイト
廬山寺 紫式部と大弐三位の歌碑と解説板
廬山寺 源氏の庭

大雲寺(京都市左京区)


 紫式部の母方の曾祖父・藤原文範(ふじわらのふみのり)が創建した寺。紫式部も詣でたことがあったと思われます。光源氏が若紫を垣間見た「北山のなにがし寺」候補地のひとつ⇒説明板
大雲寺

越前(福井県越前市)


 996年(長徳2年)、紫式部の父である藤原為時が越前守に任ぜられ紫式部は父とともに越前へ下向します。越前国府は越前市内の武生(たけふ)にあり、紫式部は1年余りを越前で過ごしました。
紫式部と越前 福井県越前市

一条院跡(京都市上京区)


 東三条院詮子の邸宅でしたが、999年(長保元年)6月の内裏焼亡により修造され、子の一条天皇の里内裏として使用されました。『紫式部日記』に登場する内裏はこの一条院のこと。⇒説明板
一条院跡

土御門第跡(京都御苑内・迎賓館南)


 藤原道長の邸宅で、一条天皇中宮彰子が敦成親王・敦良親王を出産したのもここ。上東門第、京極第とも。道長が「この世をば・・・」と望月の和歌を詠んだのもこの邸宅。
土御門第跡

枇杷殿跡(京都御苑内・皇宮警察本部東)


 藤原道長および娘の妍子の邸宅として修造されたのち一条天皇・三条天皇の里内裏に。一説によると故・皇后定子の遺児に仕える清少納言と中宮彰子に仕える紫式部はこの里内裏で文才を競ったとか!?
枇杷殿跡

紫式部墓所(京都市北区)


 北大路堀川下る西側、島津製作所さんの隣りに墓所の入り口があります。細い小道を入っていくと右側に盛り土の墓所が二つあり、紫式部の墓と小野篁(おののたかむら)の墓が並んでいます。
 墓石には、「紫式部墓」と刻まれています。本当に紫式部がこの墓に眠っているかどうか調べる術はありませんが静かに手を合わせてきました。
 墓石の向かい側には、角田文衞氏による紫式部顕彰碑がたてられています。
紫式部 墓

千本ゑんま堂<引接寺>(京都市上京区)


 千本ゑんま堂<引接寺>に、1386年(至徳3年)、圓阿上人よって建てられた「紫式部供養塔」があります。十重の石塔で高さ6メートル。重要文化財です。
 「紫式部供養塔」の隣りに「紫式部像」もあります。
 千本ゑんま堂<引接寺>は、小野篁(おののたかむら)を開基としています。小野篁は平安時代初期の公卿、文人であり、この世と地獄を行き来したという伝説をもつ人物でもあります。

千本ゑんま堂引接寺公式サイト
千本ゑんま堂 紫式部供養塔

石山寺(滋賀県大津市)


 『源氏物語』は、紫式部が新しい物語を書くために石山寺に七日間の参籠をしていたところ、8月15日で十五夜の月が瀬田川(または琵琶湖)に美しく映るのを見て筆をおこしたと伝えられています。
 「今宵は十五夜なりけり」と思し出でて…と書き始め、光源氏の須磨での生活がイメージされたのだとか。
 石山寺にも「紫式部供養塔」と「紫式部像」があります。

石山寺公式サイト
石山寺

慈眼堂(滋賀県大津市)


  慈眼堂は、滋賀県大津市坂本にある天海(慈眼大師)の廟所。
境内には、桓武天皇供養塔・徳川家康供養塔のほか、紫式部供養塔・和泉式部供養塔・清少納言供養塔などもあります。
紫式部之塔

紫式部産湯の井(京都市北区)


 通常、一般拝観を受け付けていない大徳寺真珠庵には、紫式部が産湯を使ったと伝わる井戸があります。特別公開時に拝観したところ、四方を石で囲まれた古い井戸でした。紫式部ではなく、和泉式部が産湯を使った井戸だという説もあります。

 真珠庵内は写真撮影禁止です。
大徳寺真珠庵 外観

紫野銘菓 しきぶ日記


紫式部の歌集『紫式部集』に登場するゆかりの地


片岡社(京都市北区)


 片岡社(かたおかのやしろ)は、賀茂別雷神社<上賀茂神社>の摂社である片山御子神社の別称です。ご祭神は、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)の母神・玉依比売命(たまよりひめのみこと)。
 紫式部は上賀茂神社を参拝して、片岡の杜<上賀茂神社の東裏の山>を織り込んだ恋の歌を詠んでいます。片岡社は、古くから縁結び・子授けの神として信仰されているそうです。
上賀茂神社公式サイト
上賀茂神社 摂社:片岡社

鏡神社(佐賀県唐津市)


 越前国に住む紫式部が筑紫の肥前国)に住む女友達と交わした歌に「松浦(まつら)なる鏡の神」として、鏡神社が登場しています。古来、「鏡の宮」・「松浦(まつら)の宮」と呼ばれていました。⇒詳細
鏡神社公式サイト
鏡神社


紫式部の家族と関わりがある地


園城寺<三井寺>(滋賀県大津市)


 紫式部の父・藤原為時(ふじわらのためとき)が1016年(長和5年)4月に出家した寺。 出家のきっかけは、一説によると、息子・惟規(のぶのり)、娘・紫式部を相次いで亡くしたからとも。※紫式部の没年は諸説あり。 【三井寺公式サイト
園城寺<三井寺>

宇佐神宮(大分県宇佐市)


 御祭神は、八幡大神・比売大神・神功皇后。紫式部の夫・藤原宣孝は、長保元年(999年)末に「宇佐使」となり、宇佐神宮へ下向しています。(翌年2月に帰京) 【宇佐神宮公式サイト
宇佐神宮



参考

『平安時代史事典』CD-ROM版 監修:角田文衛/編・古代学協会・古代学研究所
発行:角川学芸出版
『紫式部伝
 ―その生涯と「源氏物語」』
著:角田文衞/発行:法蔵館
『京都紫式部のまち
 ―その生涯と「源氏物語」』
著:坂井 輝久 /写真:井上 匠
 『源氏物語の近江を歩く』 著:畑裕子/発行:サンライズ出版 


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