賀茂の祭<葵祭>
源氏物語 第9帖「葵」
賀茂の祭は、四月の中の酉の日(現在は、五月十五日))に行われる上賀茂神社・下鴨神社の礼祭。
葵の葉を「かざし」として用いたことから「葵祭」の名で知られます。平安時代は、単に「祭り」といえば「賀茂の祭り」を指していました。
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上賀茂神社(賀茂別雷神社) |
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下鴨神社(賀茂御祖神社) |
賀茂社に仕える「斎院(さいいん=斎王)」は、未婚の内親王または女王から卜定(ぼくじょう=占いで決めること)されていました。
『源氏物語』第9帖<葵>では、桐壺院から朱雀帝へ譲位するにあたって、桐壺院の皇女・女三の宮<母は弘徽殿大后>が新斎院として卜定(ぼくじょう=占いで決めること)されます。斎院となった女三の宮は、父の桐壺院や母の弘徽殿太后が特にかわいがっていた姫宮でした。
斎院(さいいん=斎王)が桐壺院鍾愛の皇女ということもあり、斎院が鴨川で禊をする“御禊”の日の供奉(ぐぶ)の公卿には、特に世評が高く容姿がすぐれた人々が選ばれました。その上、朱雀帝の特別な思いがあって、光源氏までも御禊の行列に供奉する一人として加わることとなり、貴賎を問わず見物への一般の関心がより高まりました。
“御禊”の行列での光源氏の晴れ姿を見るべく、一条大路において葵の上と六条御息所の
「車の所争い」(=見物のために牛車を停車する場所の争い)が起きたのは、このような背景があったのでした。
※光源氏は、“御禊の日”は行列に供奉しましたが、“祭の当日”には紫の君と一緒に祭見物に出かけています。
※桐壺院の女三の宮<斎院>は、この帖にだけ登場する人物です。
現在の「葵祭」
毎年、京都ゆかりの一般女性から斎王代(さいおうだい)が選ばれて神事が執り行われています。
斎王代“御禊の儀”は、毎年5月4日、上賀茂神社の御手洗川または下鴨神社の御手洗池で隔年交代で執り行われており、平安時代のように御禊のために一条大路を行列が進むこともありません。
しかしながら5月15日の「葵祭」を観覧することで、当時の華やかさを偲ぶことができます。
★葵祭を見物しました!
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『葵祭』 路頭の儀
2010年5月15日、京都御苑の有料観覧席から葵祭の行列を観覧しました。
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【参考】 |
『源氏物語の鑑賞と基礎知識
bX 葵』 |
監修:鈴木一雄 |
編集:宮崎莊平 |
発行:至文堂 |
『源氏物語必携事典』 |
編:秋山虔・室伏信助 |
発行:角川書店 |
『平安時代史事典』CD-ROM版 |
監修:角田文衛 |
編:古代学協会
古代学研究所 |
発行・角川学芸出版 |