玉鬘も参詣!?観世音寺
かつて七堂伽藍が並び「府の大寺」と呼ばれた観世音寺。天智天皇が筑紫<朝倉橘広庭宮>で亡くなった母・斉明天皇の菩提を弔うために発願し、天平18年(746年)に完成しました。
正式には、清水山普門院観世音寺といい、大宰府政庁の東にあります。
『源氏物語』<玉鬘>巻において
清水の御寺(しみずのみてら)、観世音寺
というように、講堂の扁額には山号である「清水山(せいすいざん)」と記されています。
具体的に、玉鬘や玉鬘の乳母たちが観世音寺を参詣したという記述は『源氏物語』本文にはありませんが、玉鬘に仕える召使の“三条”は、大宰大弐<=大宰府の次官>の正妻が観世音寺を参詣した時の威勢は素晴らしかったと作中で話しています。
多くの神仏に願を立てていた玉鬘たちは、言わずもがな、筑紫滞在中において観世音寺を参詣していたと私は思うのです。
そんな観世音寺の現在の様子をご案内します。(*^-^*) |