菅原道真=『源氏物語』の主人公・光源氏のモデル!?
『源氏物語』<須磨>巻において、京から須磨に退去した光源氏が、京から大宰府へ左遷された菅原道真の漢詩の一節を口ずさむ場面ががあります。
光源氏の口から菅原道真が大宰府で詠んだ漢詩を言わせることで、『源氏物語』の読者が道真のイメージを光源氏に投影させることを狙っていると思われます。菅原道真は光源氏のモデルのひとりといわれています。
※但し、光源氏の場合は、自ら京を離れ須磨へ退去し寂しい生活をおくりました。
菅原道真<845年誕生〜903年死去>は平安時代の貴族で学者の家に生まれました。学問にすぐれ宇多天皇に重用され、醍醐天皇の代には右大臣にまで昇りました。
しかし無実の罪を着せられ、901年に大宰権師(だざいのごんのそち)として大宰府へ左遷。道真は大宰府の配所で903年に亡くなりました。
現在、太宰府市内を観光する際、菅原道真の存在の大きさに気づかされます。ここでは、『源氏物語』に心を寄せつつ、道真が過ごした「府の南館跡」である榎社と道真の墓所である太宰府天満宮をご紹介します。
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