『源氏物語』と鏡神社
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鏡神社 鳥居
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『源氏物語』 第二十二帖 玉鬘 “松浦なる鏡の神”
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源氏物語』<玉鬘>巻において、大夫の監(たいふのげん)と玉鬘の乳母(めのと)が交わした歌に鏡神社が登場します。
・大夫の監(たいふのげん)=肥後の有力な豪族。
・玉鬘の乳母(めのと) =玉鬘の養育者。もとは玉鬘の母である夕顔を養育。
玉鬘の乳母の夫である大宰少弐(だざいのしょうに)が大宰府で亡くなり、玉鬘と乳母一家は帰京するだけの力もなく、大宰府がある筑前の国から肥前の国へと移り住みました。
玉鬘を育てた乳母(めのと)とその家族たち
乳母の息子たち(豊後介・二郎・三郎)や娘たち(おもと・兵部の君)は、それぞれ土地の人と結婚し、家庭を持っています。
そんな中、肥後の国の有力な豪族である大夫の監(たいふのげん)が美貌と評判の玉鬘に求婚してきます。
乳母たちは、地方豪族の大夫の監と結婚するわけにはいきません。
なぜならば玉鬘と乳母一家は、京へ戻り、玉鬘の父である内大臣に玉鬘の存在を知っていただけるよう神仏に願を立てて祈ってきたからです。肥前において信仰していたのが鏡神社でした。
乳母の息子である二郎と三郎は大夫の監に懐柔され、乳母と乳母の長男である豊後介は、玉鬘に対する大夫の監の執拗な求婚に苦慮します。
以下は、大夫の監と乳母が交わした歌です。
君にもし 心たがはば 松浦なる
鏡の神をかけて 誓はむ
大夫の監(姫君(=玉鬘)に対して、もし心変わりをしましたら、どんな神罰でもお受けしましょう。松浦の鏡の神にかけて誓います。)
年を経て 祈る心の たがひなば
鏡の神をつらしとや見む
乳母(長年の間、姫君のお幸せを祈り続けてきた私の願いがかなわず、大夫の監と結婚するようなことになったら、鏡の神を非情な神だとお思い申し上げましょう。)
『源氏物語』<玉鬘>巻より
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田舎者で和歌を詠むのに不慣れな大夫の監もさすがに、乳母の返歌に疑問を持ち、問いただしますが、乳母の娘たちの機転の利いた言い逃れでその場を切り抜けます。
上記の和歌に登場する松浦なる鏡の神が、鏡神社のことです。現在、『源氏物語』で大夫の監が詠んだ和歌の碑が紫式部文学碑としてが鏡神社境内にあります。
玉鬘(たまかづら)は、京で生まれ、光源氏の義兄であり親友でもある頭中将(とうのちゅうじょう)を父に、頭中将の愛人だった夕顔(ゆうがお)を母にもつ姫君です。
源氏物語』第四帖<夕顔>で、光源氏が恋に落ちる女性こそ、かつて頭中将の愛人だった夕顔です。しかし夕顔は物の怪により急死してしまいます。光源氏の悲しみは大変深いものでした。
夕顔が行方不明になった時、娘の玉鬘は3歳でした。
母・夕顔の死を知らないまま玉鬘は4歳で乳母(めのと)たちとともに筑紫へ下ります。 乳母の夫が大宰少弐(だざいのしょうに=大宰府の次官)になったため、乳母は家族と共に玉鬘を連れて京から筑紫へ下向するのでした。
玉鬘が10歳ごろ、乳母の夫である大宰少弐が筑紫で死去します。
大宰少弐は息子たちに
「この姫君を京にお連れ申さねばならないことだけを心掛けなさい。
私の供養のことなど気にしなくていい。」
と遺言しました。乳母一家は、玉鬘を大切に養育します。
いつか京へ戻り、玉鬘が幸せになることを神仏に祈りつつ・・・。
玉鬘と乳母たちが筑紫において、京に帰れるよう、願をかけたのが鏡神社(佐賀県唐津市)と筥崎宮(福岡市東区)であると『源氏物語』内に書かれています。
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