『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』源氏物語ゆかりの地をめぐる「須磨」「明石」紀行「須磨」を歩く現光寺
源氏物語ゆかりの地をめぐる
       
 



現光寺(げんこうじ)

●所在地 :神戸市須磨区須磨寺1丁目1−6
●交通 :山陽電車「須磨寺」駅下車 徒歩5分 または JR「須磨」駅下車 徒歩7分

 正しくは、藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)。浄土真宗西本願寺派。1514年(永正11年)、浄教上人の開基といわれ、ご本尊は阿弥陀如来です。
 江戸時代の地誌では、ここが光源氏の居住地と伝えられており、昔は「源光寺(げんこうじ)」・「源氏寺(げんじでら)」とも呼ばれていました。

 1995年、阪神・淡路大震災によって本堂が倒壊されましたが、2002年に再建なさったのだそうです。
現光寺のムラサキシキブ



 源氏寺碑
 現光寺の入口に「源氏寺」としるされた石碑が建っています。

源氏寺碑
 「源氏寺」としるされた石碑。

源氏寺碑 裏側
 源氏寺碑の裏側。『源氏物語』第12帖「須磨」の一部分が記されています。


     
      げんじでらひ
      源氏寺碑

 おはすべき所は行平中納言(ゆきひらちゅうなごん)の
  藻潮(もしほ)たれつつわびける家居(いえい)近き
    わたりなりけり 海面(うみづら)はやや入りて
      あはれにすごげなる山なかなり


 この石碑には源氏物語の須磨の巻の一説が書かれています。
現光寺は紫式部が書いた源氏物語の主人公 光源氏が、従者数人と京より須磨に退去した際、わび住まいをしていたところと古来より語り継がれてきました。このことから「現光寺」は以前は「源氏寺(げんじでら)」とか「源光寺(げんこうじ)」と呼ばれていました。
 この石碑は、もともと現在の場所より北西約二十メートル離れたところに建てられていましたが、阪神淡路大震災後の都市計画道路千森線の整備にあわせて、新しく再建された現光寺の門前へ移されました。

                        平成十五年四月吉日

<石碑前にある説明板より>



 本堂

現光寺
 ご本堂の襖絵には国宝「源氏物語絵巻」の模写や源氏香図が描かれており、とても素晴らしかったです!!

 本堂に掲げてある扁額には“藩架山”(ませがきさん)と記されています。

源氏寺 現光寺 参詣
参詣記念のスタンプ3種類を押印。(^^)v



 謡曲「須磨源氏」と現光寺
 本堂の前には、謡曲史跡保存会による駒札が建てられています。

謡曲「須磨源氏」 謡曲「須磨源氏」

  謡曲「須磨源氏」と現光寺

 謡曲「須磨源氏」は、日向国宮崎の社宮 藤原興範が、伊勢参宮の途次、須磨の裏に立寄ると、老樵夫が桜の木陰から現われ、光源氏の一代の略歴を物語り、自分はその化身であることを仄めかす。その夜旅枕の興範の前に菩薩となっている光源氏が兜卒天より気高く優麗な姿で天下り、在りし日の須磨のくらしを回想しつつ、青海波の舞を舞って夜明けと共に消え失せるという典雅な曲である。
 須磨は古来、観月の名所として名高く平安時代の王朝ロマンの主人公光源氏が、複雑なしがらみの中で傷ついた心をなぐさめるのに格好の地だ、と今を去る千年の昔に生きた紫式部も知っていたのでありましょう。
 源光寺、源氏寺とも呼ばれ、境内の老松に月のかかった秋の夜など、殊更流離の源氏の君が藩架(ませがき)をめぐらして侘び住まいしたところと語り継がれてきている。

                  謡曲史跡保存会




 松尾芭蕉・正岡子規の句碑

 「須磨」は月の名所として親しまれ、文人たちも数多く訪れました。
松尾芭蕉・正岡子規も『源氏物語』「須磨」の巻に感銘を受け、思いを寄せたようです。

史蹟 芭蕉翁之句碑
現光寺 入口近くに
「史蹟 芭蕉翁之句碑」という碑がありました。



松尾芭蕉 句碑

松尾芭蕉 句碑


 見渡せば ながむれば 見れば 須磨の秋   芭蕉




正岡子規 句碑


 読みさして 月が出るなり 須磨の巻    子規



 現光寺 みどころ


現光寺の松  ご本堂前の松は屋根を越えるほどの立派な木です。
ムラサキシキブ  現光寺はお庭の手入れが行き届いていて綺麗でした。

 ムラサキシキブの実が色鮮やかです。
三猿  見ざる聞かざる言わざる でしょうか。可愛いです♪




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