『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』>源氏物語ゆかりの地をめぐる>「須磨」「明石」紀行>「須磨」を歩く>関守稲荷神社・須磨の関跡の碑 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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弥生の朔日(ついたち)に出で来たる巳の日(みのひ)、 「今日なむ、かく思すことある人は、御禊(みそぎ)したまふべき」 と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障(ぜじょう)ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。 (訳=三月の上旬にめぐって来た巳の日に、 「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」 と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障(ぜじょう)だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓えをおさせになる。) 【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】 三月初めに廻ってきた巳(み)の日は、上巳の祓え(じょうしのはらえ)といい、水辺に出て不祥を祓う習慣がありました。=巳の日祓(みのひはらい) 光源氏も須磨の海辺で簡略に幕をめぐらし、陰陽師を招いて祓えをさせ、舟に大きな人形(ひとがた)を乗せて流したのでした。 ※軟障(ぜじょう)=垂れ幕のこと。 ※祓え(はらえ)=神に祈って、災い・罪・穢れなどを除き清める儀式。 ※人形(ひとがた)=光源氏の穢れや罪を移した形代(かたしろ)。人の形をしている。
摂津国の須磨は、畿内と山陽道を結ぶ駅路(えきろ=中央と地方を連絡した道路)が通じ、摂津の関<通称:須磨の関>が設けられていました。しかし8世紀頃には須磨の関は廃止されたようです。
■『源氏物語』第12帖<須磨>において、光源氏が須磨の千鳥を和歌に詠んでいる場面があります。 例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。 「友千鳥諸声に鳴く暁は(ともちどり もろごえに なく あかつきは) ひとり寝覚の床も頼もし(ひとり ねざめの とこもたのもし)」 (訳=いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。 「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は 独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」) 【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】 源兼昌は、『源氏物語』<須磨>の上記の場面を踏まえて「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守」を詠みました。
須磨の関を詠った古歌の一部が関守稲荷神社の境内で掲示されていました。
2008年10月5日(日)〜11月24日(月・振休)まで開催されたスタンプラリークイズの問題です。 |
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