『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』源氏物語ゆかりの地をめぐる「須磨」「明石」紀行「須磨」を歩く関守稲荷神社・須磨の関跡の碑
源氏物語ゆかりの地をめぐる
       
 



関守稲荷神社(せきもりいなりじんじゃ)・須磨の関跡の碑

●所在地 :神戸市須磨区関守町1−3
●交通 :山陽電車「須磨寺」駅下車 徒歩5分 または JR「須磨」駅下車 徒歩8分

 須磨の関<摂津の関>の守護神として祀られたと伝えられています。須磨の関がどこにあったかは諸説あり定まっていません。(関守稲荷神社・現光寺・多井畑厄除八幡宮など)
 境内には『百人一首』で知られる源兼昌の和歌
「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守」の碑があります。

 『源氏物語』<須磨>で光源氏が須磨の浦で巳の日祓(みのひはらい)をしたところをこの地になぞらえ「巳の日祓稲荷」とも呼ばれます。
関守稲荷神社


 上巳の祓え(じょうしのはらえ)
■『源氏物語』第12帖<須磨>において、光源氏が上巳の祓えをさせたことが記されています。

 弥生の朔日(ついたち)に出で来たる巳の日(みのひ)、
 「今日なむ、かく思すことある人は、御禊(みそぎ)したまふべき」
 と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障(ぜじょう)ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。


 (訳=三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
 「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
 と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障(ぜじょう)だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓えをおさせになる。)


【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 三月初めに廻ってきた巳(み)の日は、上巳の祓え(じょうしのはらえ)といい、水辺に出て不祥を祓う習慣がありました。=巳の日祓(みのひはらい)
 光源氏も須磨の海辺で簡略に幕をめぐらし、陰陽師を招いて祓えをさせ、舟に大きな人形(ひとがた)を乗せて流したのでした。

※軟障(ぜじょう)=垂れ幕のこと。
※祓え(はらえ)=神に祈って、災い・罪・穢れなどを除き清める儀式。
※人形(ひとがた)=光源氏の穢れや罪を移した形代(かたしろ)。人の形をしている。



 関守稲荷神社

関守稲荷神社
祭神 稲倉魂神


豊川稲荷 稲荷社 御神木
正一位 豊川稲荷 稲荷社 御神木



 関守稲荷神社境内 須磨の関跡の碑

関守稲荷神社 関守稲荷神社 鳥居
史蹟須磨関跡 史蹟須磨関屋跡の碑

鳥居の脇にあります。
須磨の関跡 境内には明治の初めころ、現光寺の裏手から掘り出された石柱があります。

側面に「川東左右関屋跡」と刻まれていることから、古代の須磨の関跡は現光寺あたりではないかとも考えられています。



 須磨の関

 摂津国の須磨は、畿内と山陽道を結ぶ駅路(えきろ=中央と地方を連絡した道路)が通じ、摂津の関<通称:須磨の関>が設けられていました。しかし8世紀頃には須磨の関は廃止されたようです。
 その後、歌枕として“須磨の関”は和歌に詠み継がれていきます。


■清少納言の『枕草子』第107段 関は において、日本各地のいくつかの関が挙げられている中で、須磨の関は2番目に登場します。

 関は 逢坂(おうさか)。須磨の関。鈴鹿の関。 〜<以下略>〜

【「新編日本古典文学全集18 枕草子」(校注・訳:松尾聰 永井和子/発行:小学館)より引用】



 関守稲荷神社 源兼昌の歌碑「淡路島・・・」

 『百人一首』にも撰ばれている源兼昌(みなもとのかねまさ)の歌碑。


 あはじしま
 かよふちどりの
 なくこゑに
 いくよねざめぬ
 すまのせきもり



歌の意味:
 淡路島から飛び通う千鳥の悲しく鳴く声によって、幾夜目を覚ましてしまったことだろうか、須磨の関守は。



 すでに廃された須磨の関と関守(関所番人)の気持ちを推量した創作の歌。

 源兼昌は平安時代末期の歌人。生没年未詳。


■『源氏物語』第12帖<須磨>において、光源氏が須磨の千鳥を和歌に詠んでいる場面があります。

例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
 「友千鳥諸声に鳴く暁は
(ともちどり もろごえに なく あかつきは)
  ひとり寝覚の床も頼もし
(ひとり ねざめの とこもたのもし)


 (訳=いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。
 「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は
  独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」)


【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】


 源兼昌は、『源氏物語』<須磨>の上記の場面を踏まえて「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守」を詠みました。



 須磨の関 古歌
 関守稲荷神社にある歌碑。藤原俊成藤原定家は親子です。

藤原俊成の歌碑  聞き渡る
 関の中にも 
 須磨の関 
 名をとどめける 
 波の音かな  


         俊成
藤原定家の歌碑  桜花 
 たが世の若木 
 ふり果てて 
 須磨の関屋の 
 跡うづむらん  


         定家


 須磨の関を詠った古歌の一部が関守稲荷神社の境内で掲示されていました。


須磨の関 古歌 拾い書き

  須磨の関 古歌 拾い書き

 旅人はたもと涼しくなりにけり
  関吹き越ゆる須磨の浦風
                     在原行平

 須磨の関秋萩しのぎ駒並べて
  鷹狩をだにせでや別れん
                     読人しらず(伝 業平)

 都おもふ須磨の関屋のうたたねに
  いそたちのぼる夕浪の声
                     寂蓮法師

 いづかたへ秋のおくりを須磨の関
  関ゆく舟も行方しらねば
                     二条院讃岐

 淡路島はるかにみつるうき雲も
  須磨の関屋に時雨きにけり
                     大僧正慈円

 須磨の関ちどりの声はうつつにて
  とだえがちなる夢の通い路
                     藤原隆信

 これやこの須磨の関屋の真木柱
  のこる松さへこけふりにけり
                     飛鳥井雅有

 月ははや遠島かげに傾きぬ
  しばしとどめよ須磨の関守
                     栄福門院

 桜さく須磨の関守わすれても
  うら吹く風を花にゆるすな
                     長谷景福


  平成十年六月
 西須磨協議会




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