須磨寺(すまでら)
正しくは、上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)。古くから「須磨寺」の名前で親しまれています。真言宗須磨寺派の本山です。
平安時代初期、兵庫県和田沖で引き上げられた聖観世音菩薩像を886年(仁和2年)光孝天皇の勅命により、聞鏡上人が本尊とし奉祀したのが始まりとされています。
源平ゆかりの古刹として知られますが、このページでは源氏物語と在原行平を中心にご紹介させていただきます。 |
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■『源氏物語』第12帖<須磨>において、光源氏が須磨で桜を植えたことが記されています。
須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。
(訳=須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。)
【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】
須磨寺の境内 源平の庭には、光源氏が紫の上を想って植えた「若木の桜」跡があります。花が咲いているところを見てみたいですね。(*^-^*)
平安末期、弁慶が若木の桜に対して「一枝を伐らば、一指を剪るべし」と制札を立てたといいます。この制札は宝物館に展示してありました。
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須磨琴(一弦琴) |
中納言在原行平卿像 |
須磨琴は一枚の板の上に一本の絃を張っただけの楽器です。須磨流謫中の中納言在原行平が浜辺に流れ寄った板片に自身の冠の糸を張って琴を作ったことが起こりだとか。
須磨寺宝物館では最古の須磨琴と中納言在原行平卿像を並べてに展示してあります。
須磨琴保存会は、1965年(昭和40年)に須磨寺を本拠地として発足され、須磨琴<一弦琴=いちげんきん>の演奏活動をされているそうです。
須磨寺のパンフレットの本堂の欄によりますと、在原行平が参籠して勅勘を許されたと伝えられているそうです。
在原行平が須磨に籠ったのは、「古今和歌集」の詞書では文徳天皇の御世(850年〜858年)といいます。須磨寺の創建は886年であり、時間的に一致しませんがこういった伝承は伝わることに意義があると思います。
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源平の庭
平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭。 |
敦盛首洗池
熊谷直実に討たれた平敦盛の首を洗ったと伝わる池。 |
源義経腰掛松
源義経はこの松に座って敦盛の首を実検したと伝えられています。 |
境内にはこのほかにも源平ゆかりの史跡や見どころが多いのですが、またの機会に時間をかけてめぐりたいです。
■須磨寺前商店街(智慧の道) 志らはま鮨 で昼食をいただきました♪
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志らはま鮨
住所:神戸市須磨区須磨寺町1-11-12
交通:山陽電車「須磨寺」駅下車
「すまの関守」をいただきました。
赤出汁、デザート(抹茶ゼリー)付き。
ふっくらした穴子のお寿司・太巻きがボリューム満点。
柚ノ香ずし<写真左下>は、珍しく嬉しく思いました。
とっても美味しかったです。o(^-^)o
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