『花橘亭〜源氏物語を楽しむ〜』>源氏物語ゆかりの地をめぐる>「須磨」「明石」紀行>「須磨」を歩く>綱敷天満宮 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その夜、主上のいとなつかしう昔物語などしたまひし御さまの、院に似たてまつりたまへりしも、恋しく思で出できこえたまひて、 「恩賜の御衣は今此に在り」 と誦じつつ入りたまひぬ。御衣はまことに身を放たず、かたはらに置きたまへり。 (訳=その夜(昨年9月20日の夜)、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子、故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、 「恩賜の御衣は今此に在る」 と朗誦なさりながらお入りになった。御衣は本当に肌身離さず、側にお置きになっていた。) 【源氏物語の本文と訳は 渋谷栄一先生のwebサイト『源氏物語の世界』より引用】 光源氏は須磨で十五夜の月<中秋の名月>を見て、1年前に宮中・清涼殿で行われた管弦の遊びを思い出します。そして、異母兄・朱雀帝が父である桐壺院に似ていらっしゃる様子を思い出し、菅原道真が配流先の大宰府で詠んだ漢詩を口ずさむのでした。 『源氏物語』内に描写はないものの、光源氏は朱雀帝から衣を賜っており、その衣を大事に須磨まで持ってきていました。 この場面の元になっている菅原道真の漢詩と読み下し文は以下のとおりです。
菅原道真は900年(昌泰3年)9月10日に清涼殿で催された宴において、醍醐天皇から衣を賜りました。 901年(昌泰4年・延喜元年)、菅原道真は大宰権師として大宰府に左遷されます。同年9月10日、大宰府の配所・府の南館で1年前の宮中での様子を偲び、醍醐天皇から賜った衣の移り香を拝して、漢詩「九月十日」を詠みました。 ※903年(延喜3年)2月25日、菅原道真は大宰府の配所・府の南館で亡くなります。
■ところ変わって・・・九州 福岡県太宰府市。(管理人は福岡県民です。)
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